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ヨッ、調子どう?

【コラム】オカンとボクと、時々、オトン

 

リリー・フランキー著書「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜」を読んだ。

 

映画を初めて観たのは2年前のことだ。

 

僕は、何度この作品と対峙しても涙が堪えられなくなる。

 

 

 

 

父親がいないことに気がついたのは5才のときだった。

 

当時は保育園に通っていて、いつも夕方ごろになると遊んでいた周りの友達は迎えに来た親と先に帰ってしまう。僕はコマ遊びが好きだった。みんなが帰ったあと、いつも園内で一人でコマを回していた。あたりがすっかり暗くなり、夜6時を過ぎると仕事を終えた母親が迎えに来てくれた。母はいつも保育士に申し訳なさそうに頭を下げていた。そのとき、幼いながらも父親がいないということに気がついた。そういえば、父の顔も見たことがなかった。

 

小学校に上がり、祖母の実家から小さなアパートに引っ越した。母親の帰りはさらに遅くなった。

 

 

チョココロネが好きだった。日曜のお昼時になると、母と姉と3人で公園へ出かけた。途中でパン屋さんに寄って、公園のベンチに座ってチョココロネを食べた。その時間だけが、家族が揃って過ごす唯一のものだった。何を話していたのか覚えていない。パン屋は今でも経営が続いているみたいだ。でも、もう僕はチョココロネを食べない。

 

当時、母親は赤くてカッコいいクルマに乗っていた。
 

 

若い男が家にずっと居候していた。後から知ったのは、そいつが母親の彼氏だったということ。その若い男はいつも煙草を吸っていた。たまにCDショップに連れて行ってくれたり、ギターを弾いてくれたり、優しかった。僕はこの人が父親になってくれるんだと思っていた。ある日、母とその男が楽しそうに話しているのを見て、僕はかまってほしくて灰皿に手を伸ばした。吸いがらは僕の目に入った。そのときのことはよく覚えていないが、僕の目に入った吸いがらを必死にタオルでこする母と男が激しく口論をしていた。

 

翌日、そいつは母のギターを盗んで出て行ってしまった。

 

 

小学2年生のころ、ニンテンドーDSが流行った。クラス中のみんなが持っていて、僕はたまらなく欲しくて母親に何度もねだった。しかし家は貧乏だったのでなかなか買ってもらえなかった。どうしても欲しかった幼い僕はそこで悪知恵が働き、母に見せるための日記を書き始めた。そこにはDSを持っていないからという理由で友達から「貧乏人」と言われること、ゲームを持っていない僕は友達の輪に入れず一日中自転車を漕いで遊んでいたことなどの嘘八百を書き連ねた。母はその日記を読んで、部屋の隅で隠れて泣いていた。


翌日、母はニンテンドーDSを買ってくれた。僕は今でもそのことを後悔している。

 

 

当時、サッカースクールに通っていた僕は風邪などの仮病で練習を休みがちになっていた。僕はサッカーを母親の影響で始めたのだが、強豪のサッカーチームは学年が上がるにつれ、居心地が悪くなった。それでも毎週日曜日は練習試合があったため、母は無理やり僕を赤いクルマに乗せて会場まで送ってくれた。僕は後部座席にうずくまって、母親が運転する背中を見ていた。


そんな日々が続いていたある日、母は「嫌ならやめていいよ。あんたには自分の好きなように生きてほしい」と言った。

 

 

父親に初めて会ったのは、20歳になったときだ。


田園調布沿いの小さな街で、小さな居酒屋を経営していた。僕は顔も知らない父親に会うのが何となく怖かった。店のドアの前で何度も何度も行ったり来たりして、1時間が経った。これまでの人生で一番勇気を振り絞った。ドアを開けた瞬間、カウンターで刺身を捌く男の顔が目に入った。座席は10席ほどで、すぐに顔が合った。男は目を見開いて、僕をまっすぐに見た。

 

 

その三ヶ月後、母親がガンになった。

 

新宿にある大学病院の1262号室。そこには生気を失ったように弱った母親の姿があった。身体には無数の管が突き刺さっていた。病室にはひっきりなしにナースコールが鳴っている。隣の患者は抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け落ちていた。病院の食事はおかゆや煮物、卵スープ、メロンなど。僕にできるのはそれを運ぶだけだった。リンパを巻き込んだ5時間の手術。取り除いたガン細胞。もし再発したら今度は助からないらしい。5年という歳月が、僕たちに重くのしかかった。

 

母は父と離婚して、僕を産んだ。女手一つで仕事と家事をこなし、僕と姉の2人をここまで育ててくれた。そして肩の荷が下りたように、母はガンになった。母は病室で、ふと「私の人生はしょうもない」とつぶやいた。

 

 

現在は赤いクルマの代わりに、グレーの軽自動車に乗っている。

 

僕はいつか、母親と別れる日が来ることを知っている。

 

だからその時までに親孝行をしなければいけない。「しょうもなかった人生」なんて言う母に生きた証を残さなければいけない。

 

 

そんな事、誰にも言えないのだけれど。

 

 

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『東京タワー』でのオカンは、どれだけ苦しくてもいつも笑っていた。時代は移り変わって、街並みや流行は日々変わっていく。かつて都会のシンボルだった東京タワーも今はスカイツリーに取って代わっている。でも、どんな時代でも変わらないものはある。

 

僕はチョココロネを食べなくなったし、DSもサッカーもやらなくなった。父親ともたまに会うようになった。でも、この作品と対峙すると、どうしても涙が堪えきれなくなる。