シカゴからロサンゼルスまで

ヨッ、調子どう?

teto「手」全曲レビュー&考察

 

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現在、日本の音楽シーンにおいて「ロック」と呼べるバンドはどのくらいいるのだろうか。

 

サブスクやYouTubeなどインターネットの影響でリスナーにとって音楽はより身近なものとなった一方で、個人の趣味趣向は固定化されてしまった。また、毎年増え続けるフェスは音楽を「聴くもの」から「踊るもの」へと変化させてしまった、などと言わざるをえない。

 

このような状況で「邦ロック」なる分野の音楽はサビの盛り上がりやキャッチーなメロディに重点が置かれ、売れ線のバンドのほとんどはJ-POP化している。ロック音楽誌の表紙を飾っているバンドがここ数年変わりないのを見てみてほしい。

 

海外では「ロックは死んだ」というかつてのパフォーマンスが現実味を帯びており、EDMをはじめとしたダンスミュージックやソロのアーティストの活躍が目立つ。その潮流が最近日本でも起きており、ガラパゴス大国の崩壊も時間の問題だ。

 

さて、話が長くなったが、今回はそんな日本の音楽シーンを変える1組のロックバンドの話をしよう。

 

 

 

手

 

〈収録曲〉

1.hadaka no osama
2.高層ビルと人工衛星
3.トリーバーチの靴
4.奴隷の唄
5.市の商人たち
6.洗脳教育
7.種まく人
8.散々愛燦燦
9.マーブルケイブの中へ
10.Pain Pain Pain
11.拝啓
12.溶けた銃口
13.夢見心地で
14.忘れた
15.手

 

 

ロックを忘れたすべての人たちへ

 

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tetoの1stフルアルバム「手」は一言でいえば大名盤だ。

 

小池貞利(Vo.&Gt.)はバンド結成当初から1stフルアルバムは15曲入りだと決めていたらしいが、今作はその膨大な曲数に負けない気概を背負った彼らの生き様が詰まったアルバムとなっている。

 

その片鱗はイントロであるM1"hadaka no osama"から惜しげもなく繰り出される。

 

似非革命家が流行らす風潮 端から流行っちゃいない

裸の王様 頼むから腹を割れ

 

と、まるで現在の邦ロックシーンを揶揄しているかのような喧嘩文句。

詳しくはぜひ石左さんの記事を見てほしい。

 

 

これはtetoに向けられた周囲の期待と彼らがやりたい音楽の合致、そこに突っ走っていく確固とした覚悟が1stフルアルバムの一曲目から垣間見える。

 

そしてライブでは定番のアンセムであるM2"高層ビルと人工衛星"がアルバムの始まりを告げる。この曲は彼らがバンドを結成して初めて録音したもので、廃盤となった1st EPから再録された。

 

tetoを現在のtetoたらしめるこの曲はM10"Pain Pain Pain"と合わせて、若き頃の無敵感や疾走感が爆発したナンバーとなっている。よく彼らはポストandymoriなどと呼ばれているが、それはこの辺りの曲が所以だろう。

 

M3"トリーバーチの靴"からはしばらく3分以内で駆け抜けていく曲が続いていく。M1やM3、M4から中世の西ヨーロッパを彷彿とさせるタイトルだが、トリーバーチとはNY発祥のセレブブランドだ。

 

この曲では英ロックの正統継承者であるセックス・ピストルズの名前が出てくる。70年代の混迷したロンドンで若者のフラストレーションを爆発させた彼らをなぞらえて、tetoは自らの退屈な日々と孤独に宣誓布告をする。

 

前述したandymoriは鬱屈とした時代のうねりの中で生まれたバンドだ。彼らがもがき苦しみながら鳴らすロックは当時多くのリスナーの心を掴み、現在も彼らに影響されたバンドは多い。

 

tetoも同じようにM4"奴隷の唄"で単語を多用しながら苦しみに抗っていく様を描いているが、M5"市の商人たち"では〈死の商人〉という損得に左右される現実を同時に俯瞰している。

 

飼われ買われ変われない朝が来る

 

展開が複雑に絡み合うM6"洗脳教育"のこの歌詞はM1やM4、そしてM5からの「怒り」と「諦め」と呼ぶにふさわしい皮肉的な感情の流れを感じさせる。この相反する姿勢は初期のandymoriのロックに通じる部分があるといえる。

 

しかし、彼らは一体何に怒り、諦めているのだろうか。社会か、音楽シーンか、それとも自分自身か、このエネルギーは攻撃的なサウンドと小池のダミ声によって2分の枠に収まりきれず暴走しているように見える。

 

初期のandymoriはクリーンなサウンドに対する狂気的なライヴパフォーマンスが独特な魅力を放ち、それをなりふり構わず楽曲にぶちまけていた。たしかにこのアルバムの前半には同じような雰囲気を感じとれるかもしれない。

 

しかし、tetoを彼らと同じ文脈で語るつもりはない。

 

 

 

ただ、欲望のままに

 

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 アルバムの前半は何に対してぶつけているのか分からない「怒り」や「諦め」が蔓延していたと思う。しかし、中盤のM7"種まく人"からはその流れが一変することになる。

 

M8"散々愛燦燦"やM9"マーブルケイブの中へ"にも言えることだが、楽曲が突然メロディアスになり、自分の未来や過去、そして愛犬の話を始めてしまう。

 

しかしそこには誰もが自らの姿を映し出してしまう共通性のようなものが存在し、彼らの曲は彼らのものだけではない感覚を与えてしまうのだ。

 

小池はよくライヴで「俺が満足するために歌う」ということを口走っているが、自身の経験を吐露することは容易なことではない。それはM10"Pain Pain Pain"の歌詞にも表れている。

 

聞き飽きたことばかり言葉軽い物語

届かないんだったら早くして心変わり

 

 最近の邦ロックシーンは「生活感」という自身の半生や自堕落さを歌うものが人気を集めているが、tetoのこれはワケが違う。彼らは決して狙ってやっているのではなく、その瞬間の感性を純度を保ったまま切り取り、傷を負うリスクは承知の上で放出しているのだ。

 

そうしたいわば諸刃の剣のような音楽を、tetoは新しいアンセムであるM11"拝啓"というロックチューンに乗せてガシガシぶつけてくる。

 

 



この曲は彼らがこれまで生きてきた中での出会いや別れ、そして人生における時間の刹那性をまざまざと見せつけるようなアンセムだ。

 

耳障りの良いメロディと語感の揃った言葉選び、そして掻き鳴らすようなギターのサウンドに混ぜったこの曲は一度聴いたが最後、心を掴んで離さない。

 

ただの焦燥感を馳せるようなバンドではない、ということを私たちに教えてくれるのだ。

 

 

 

本物を鳴らすバンド 

 

ここまでtetoのアルバムレビューをしてきたが、問題はここからだ。

 

冒頭で述べた、彼らが日本のロックシーンを変えてしまうということをこれから証明していこうと思う。

 

1stミニアルバム「dystopia」収録曲の"9月になること"のアンサーソング、続き物のような形で9月1日にMVが公開されたM12"溶けた銃口"は二度とは戻れないあの過ぎ去った夏の終わりを感じさせる名曲だ。

 

 

 

これまでの楽曲の中ではとびきり異彩を放っており、"9月になること"でも描かれていた人生の寂寥感がシューゲイザーとも違う浮遊感のあるサウンドで表現されている。

 

さらにM13"夢見心地で"はそれでも歩き続けていく前向きな姿勢を内包しており、幅の広がったサウンドアレンジも含めて、彼らがこの2曲に自信がある様子も納得の出来だ。

 

そんな最高なバトンを受けたM14"忘れた"は再録でピアノ音のようなイントロが加わった1stシングルの表題曲だ。

 

副業であかぎれた母の手とそれを馬鹿にしたクラスメイトと

顔立ちすら思い出すことのできない過去の父と

考えただけでもう何故かえずいてしまっていた

 

忘れてしまうことと忘れはしないこと。過去の回顧を繰り返しながらそれでも続いていく日常。それを曖昧な納得で終わらせるのではなく、tetoはロックに昇華させる。

 

このアルバムのラストを締めくくるM15"手"はそんな彼らの生き方が120%詰め込まれている曲だ。

 

馬鹿馬鹿しい平坦な日常がいつまでも続いてほしいのに

理想と現実は揺さぶってくる

 

 小池はこの曲の制作過程でツアーを回っているとき、もともとはすぐにやめようと思っていたバンド活動を続けていくことを決心したらしい。

 

人生は短い、ましてやバンドの寿命はもっと短い。だからこそ限られた時間の中で伝えたいことを「怒り」や「諦め」に任せるのではなく、自らの力で切り開いていくことを選んだ。

 

「結成当初、最初に「高層ビルと人工衛星」っていう曲ができて、ある程度はいくだろうなっていう自信はあったんですよね。だから、2年くらいで美しいまま散ろうって。でも、美しいまま散るのは、やろうと思えばできちゃうことだし、たとえ伝わらないとしても伝え続けることをやめちゃダメだって、今は思う。そういう自分の過去・今・未来が、この『手』という曲には詰まっています。」

teto、高純度のロックが炸裂した待望の1stフルアルバム『手』インタビュー | スペシャル | EMTG MUSIC

 

 

 現在の邦ロックシーンにおいて「鳴り物入りのデビュー」という時代は終わり、若手はプッシュアップされやすくなり、ベテランはライヴの興行で活動を長く続けることが可能となった。

 

最近は勢いのあるバンドは比較的容易に武道館を埋めてしまうし、キャッチーでわかりやすい方向性にシフトしたバンドはお茶の間に浸透するスピードも早い。

 

しかしtetoはあくまでもそんなシーンを転覆させることを目論み、自分たちのロックを鳴らし続けるという。

 

まだ見ぬ時代に会いたい

辛うじてまだ自由に動くこの手で

 

 andymoriはロックが生まれなくなった時代に突如として現れ、伝説となった。

 

しかし、tetoはロックが消費される時代で、本物を鳴らすために現れたバンドだ。

 

そんな想いが詰まった彼らの1stフルアルバムを、CDショップの片隅から手に取ってほしい。そしてライヴハウスに足を運んでほしい。

 

この時代にtetoがいたということを、いつか一緒に誇れるように。